■蝦夷の登場
蝦夷の初出は、『日本書紀』景行天皇27年2月条に記されています。
武内宿禰は東国から帰ってきて「東国のいなかの中に日高見国があります。その国の人は男も女も、髪を椎(つち)のような形に結い、体に入墨をしていて勇敢です。これらすべて蝦夷といいます。また土地は肥えていて広大です。攻略するとよいでしょう」といった、とあります。
しかし、神話の世界から古墳時代にかけて、蝦夷はほとんど登場しません。
蝦夷が頻繁に登場するのは、乙巳の変、前後からです。
なぜ、蝦夷は東北地方にいたのでしょうか、それは、日本古代の気候と関係があるようです。
■古代後期小氷期
近年の南極、北極のアイスコア分析により、536年、北半球高緯度帯で大規模な火山噴火が発生したことが明らかになっています。
さらに、540年には熱帯地域でも噴火があったとされており、この噴火は1815年のタンボラ山噴火を超える規模であったと考えられています。
その後、547年にも大規模な火山噴火が発生したとされています。
これらの火山噴火の連続による夏の急激な気温低下は、その後も海洋熱量の変化や海氷の拡大によって維持されたと考えられます。
そして、7世紀での太陽活動極小期との関係も示唆されています。
このように、536年から660年頃までの寒冷化が「古代後期小氷期」と言われています。
この急激な寒冷化の影響は、ヨーロッパよりも中央アジアで強く見られます。