今ある伊勢神宮は、当初、さまよい流転したことがあるのをご存知でしょうか?
そんな謎深き天照大神と伊勢神宮についてご紹介します。
■伊勢神宮の基礎
アマテラスを祀る最高の特別格の本宗が、三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮です。
もう一つが豊受大御神を祀る外宮です。
内宮と外宮合わせて伊勢神宮となります。
伊勢神宮は神明造という古代の建築様式を継承しています。
元は高床倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられています。
そして古来より、私的な幣帛を奉ることは禁止されており、個人が参詣することはできない、国家管理の神社でした。
このように、あまり知られていなかった伊勢神宮が民間で信仰されるきっかけは、律令制が衰退して荘園が成立する平安時代中期以降のことです。
そして、鎌倉時代中期以降御家人や地頭層にも広がり、彼らが強い影響力を持った農村にも次第に伊勢信仰が浸透していきます。
江戸時代に入ると、お伊勢参りの機運が高まり、伊勢講が一般化し、全国に広がっていきました。
伊勢講とは、伊勢信仰を持つ複数の人々が集まって参詣のための費用を出し合うものです。
さらに、伊勢神宮へ集団参詣する「お蔭参り」が流行り、短期間で数百万人が参詣したそうです。
■斎王、斎宮
伊勢神宮は日本最古の神社であり、斎宮(さいぐう)はその神宮を守るために設けられたとされています。
斎王(さいおう)はその斎宮の主として、未婚の皇女が天皇の代理として神宮の祭事を司る役割を担っていました。
伊勢神宮と斎王にまつわる物語は、古代日本社会の宗教、政治、女性の役割など、多くの側面を反映しています。
斎王が任期を終えると、新たな斎王が選ばれ、伊勢神宮への道中に向かいます。
この旅は「斎宮行(さいぐうこう)」と呼ばれ、壮大な儀式の一環として行われました。
【目次】
- 伊勢神宮の基礎
- 斎王、斎宮
- 崇神天皇
- 伊勢皇大神宮の引越し
- なぜアマテラスだけが彷徨ったのか
- 籠神社
- 元伊勢
- 天皇がほとんど参拝していない伊勢神宮
- 藤原不比等による歴史の創作
- 持統天皇と藤原不比等
- 黒作懸佩刀
- まとめ
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史について発信しています
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【参考書籍】
・『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治 著
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『続日本紀上下』森田悌 著 講談社学術文庫
・『古代史が解き明かす 日本人の正体』関裕二 じっぴコンパクト新書
・『縄文の神が息づく 一宮の秘密』戸矢学 著 方丈社
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著作 河出書房新社
・『藤原氏の正体』関裕二 著 新潮文庫
・『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教 著