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水田稲作が日本に伝播したのはいつ頃でしょうか、そして、どこから伝播したのでしょうか。
二つの説:朝鮮半島経由と中国直接伝播
まず、稲作の起源はどこかというと、いまのところ中国長江流域であるというのが定説になっています。
中国浙江省の河姆渡(かぼと)遺跡から水稲の籾が大量に発掘されており、最古級の水稲稲作と推定されています。
この遺跡は、紀元前5000年頃の時期に該当します。
ただし、時期については、客観的検証が行われているかどうかは不明です。
概ね中国や朝鮮半島の時代検証はされていないと言っていいでしょう。
日本でも旧石器遺跡の捏造事件がありました。
更に遡って、紀元前7500~5000年頃の時代の稲作の遺跡が、中国の長江中流、湖南省北西部の彭頭山遺跡から見つかっています。
こちらは、日本との共同研究のようで、まず間違いないようです。
一方、日本では朝寝鼻貝塚からプラントオパールが発見されていますが、水稲稲作の証拠はなく、紀元前1000年の菜畑遺跡から見つかった水田稲作跡が最古です。
菜畑遺跡(佐賀県唐津市)、津島江道遺跡(岡山県)のものは、水田遺構としては最古とされます。
さらに、板付遺跡(福岡県福岡市)で縄文晩期末の土層から大区画の水田跡と木製農具や石包丁などが出土しています。
これにより、最古の農耕社会といえる弥生文化(早期)が始まりました。
朝鮮半島での水田稲作の痕跡は日本列島より前の遺跡では見つかっていません。
これらの遺跡から、中国長江流域が稲作の起源だと推定されます。
- 紀元前8000年・・・上山遺跡(中国):中国長江流域の湖南省が起源か?
- 紀元前5000年・・・河姆渡遺跡(中国):長江下流の河姆渡遺跡で水稲の籾が見つかる
- 紀元前4000年・・・朝寝鼻貝塚(日本・岡山県):プラントオパールが付着
- 紀元前3000年・・・南溝手遺跡(日本・岡山県):籾の跡のついた土器
- 紀元前1000年・・・菜畑遺跡(日本・福岡県):水稲稲作の到来、炭素14年代測定法
- 紀元前200年・・・唐子/鍵遺跡(日本・奈良県):朝鮮半島に存在しない中国固有の水稲品種発見
稲作は朝鮮半島経由ではなかった
結論から言うと、中国から直接伝播したというのが最新の学説のようです。
在来品種の水稲(温帯ジャポニカ)の遺伝子RM1を調べると、面白いことがわかります。
RM1遺伝子には8種類の系列があります。
RM1-a・RM1-b・RM1-c・RM1-d・RM1-e・RM1-f・RM1-g・RM1-hの8種類。
中国では8種類すべてあり、b遺伝子が多く見つかります。
朝鮮半島では、b遺伝子のみ見つかりません。
日本ではa・b・cのみ見つかっていて、b遺伝子が多く見つかります。
興味深いのは、b遺伝子が朝鮮半島では見つからないということです。
しかし、中国と日本には高い割合で分布しています。
中国大陸から直接日本へ到達する交易などの流れがあり、b遺伝子を持つ水稲が中国から直接伝播したのではないでしょうか。
a遺伝子は中国では高い割合では存在していませんが、朝鮮と日本にも存在しています。
a遺伝子は朝鮮半島を経てきたか日本から朝鮮半島南部に伝播したものと推測されます。
韓国の松菊里遺跡での調査結果があります。
なぜか、Wikipediaなど文献を調べても松菊里遺跡の水田稲作に関する記述が見当たりません。
触れたくない事実があるのでしょうか不明ですが、まったく出てきません。
下記のような民間の方の記述がある程度です。
忠清南道(チュンチョンナムド)の扶餘(プヨ)で発見された青銅器時代の、日本の時代区分で言えば縄文末期から弥生時代にかけての大規模集落遺跡で、その発生は紀元前5~4世紀頃と推定される。朝鮮における水田稲作遺跡として、平壌市南京遺跡などとともに有名になり、多くの住居址が発見され、米をはじめ多くの穀類や生産道具がみつかるとともに、青銅器には東北アジアとの繋がりが見られるものがあるなど、穀物栽培の研究に重要な遺跡となった。
百済の旅 松菊里遺跡