日本大国魂大神の正体は饒速日尊

饒速日
・日本大国魂大神
・大物主
天照国照天火明櫛玉饒速日
天照國照
天火明
天照御魂神
天照皇御魂大神
櫛玉
櫛玉饒速日

これらはすべてニギハヤヒの別名です。
したがって、日本大国魂大神の正体は饒速日尊(ニギハヤヒ)であることがわかります。

ニギハヤヒの系図

関連記事:ニギハヤヒの正体と系図(1)

前回記事からまとめると下記のとおりです。
記紀の神武東征に記されているように、神武が大和に入る時に既に大和を制圧していたニギハヤヒ一派がいました。
長髄彦が抵抗したものの、神武はニギハヤヒ一派と和議を結び、ニギハヤヒグループと神武グループが姻戚関係となりイワレビコ=神武が政権を掌握しました。
恐らく、石上神宮や大神神社で建国の皇祖としてニギハヤヒが祀られていました。
それが分かるのが、神武天皇が橿原神宮に祀られたのは、明治時代に入ってからです。
神武は正統な皇祖・ニギハヤヒの養子だからかあるいは、記紀が改変されたことを知っていたからでしょう。
神武天皇=崇神天皇同一人物説というのも信ぴょう性が出てきます。
天照大神は元来男神、つまりニギハヤヒであったものを女神にすげ替えられました。
日本の皇祖・天照皇御魂大神・日本大国魂大神であったニギハヤヒを天照大神として女神に変更したのです。
それは、天照大神を女神にして自分自身に仮託したい持統天皇と側近・藤原不比等が、そのため記紀を改変し「神話」の中に閉じ込めたと見ます。

崇神天皇の御代は、冷害で飢饉が続き、伝染病も大流行、人口も半分に減り国難になったという記録があります。
崇神天皇の御代に、石上神宮に十握剣などの神宝を移され、大神神社でニギハヤヒを鎮魂しています。
さらに、神武天皇の親戚筋である天照大神の御霊を大和から他所へ移すことになりました。
それが巡り巡って今の伊勢神宮に落ち着いたということになります。

ニギハヤヒの系図:オリジナル

私が考えるニギハヤヒの系図(仮説)です。
ニギハヤヒの年表(仮説)も下記に記載しました。

スサノオ・ニギハヤヒの年表

私が考えるニギハヤヒの年表を参考までに記載しました。
まだまだ検討の余地は多いですが、大まかに記しています。
魏志倭人伝や記紀がもう少し正確に記述していてくれれば良いのですが、卑弥呼と神武の関係など曖昧な箇所があります。
ほぼ正しい推古天皇即位の593年から逆算すると、
・ 平均10年✕33代=330年
・ 平均11年✕33代=363年
593ー330=263年 or 593ー363=230年 この間、つまり、230年~263年の範囲ではないかと仮定。
よって神武天皇即位は日本書紀の辛酉を根拠とすると、241年頃と推定できます。
まだまだ疑問点や課題も多く研究の余地があることを記しておきます(2023年11月)。

  • 121年頃 スサノオ(素盞嗚命) 誕生
  • 150年頃 ニギハヤヒ(饒速日尊) 誕生
  • 154年頃 ヒミコ(卑弥呼) 誕生
  • 160年頃 オオクニヌシ(大国主尊) 誕生
  • 173年頃 スサノオ(素盞鳴尊) 九州侵入(倭国大乱)
  • 182年頃 ニギハヤヒ(饒速日尊) 大和進出
  • 184年頃 スサノオ(素盞鳴尊) 死亡 大国主神 世襲
  • 187年頃 ヒコホホデミ(彦火々出見尊) 誕生
  • 189年頃 ウガヤフキアエズ(鸕鶿草葺不合尊) 誕生
  • 210年頃 コトシロヌシ(事代主尊) 誕生
  • 215年頃 イワレビコ(磐余彦尊) 誕生
  • 220年頃 ニギハヤヒ(饒速日尊) 死亡(約68歳)
  • 220年頃 出雲国譲り 建御名方尊は脱出
  • 234年頃 イワレビコ(磐余彦尊) 日向出発
  • 239年  ヒミコ(卑弥呼) 「親魏倭王」金印紫綬
  • 241年頃 神武天皇 即位
  • 247年頃 卑弥呼 死亡
  • 266年  倭の女王の使者が朝貢

スサノオ・ニギハヤヒの勢力図

スサノオ+オオクニヌシ、およびニギハヤヒの勢力図を掲載しました。
スサノオ+オオクニヌシ勢力は、出雲、九州を制圧していたと考えます。
そして、魏志倭人伝にも記される朝鮮半島南部の狗邪韓国も勢力に治めていたとみられます。
もちろん、スサノオは朝鮮半島から渡来した人物ではありません。
フツ、フル、フツシなどモンゴル語だという説には賛同しませんし、モンゴル人であるなら、日本に来る前に馬韓、弁韓、辰韓、高句麗を制圧していたでしょう。
ましてやまだ文明というものが存在せず、人が住みだしたばかりの原始的な朝鮮族が政権を握ることはないでしょう。
魏志倭人伝にもそのような記述はありません。
ニギハヤヒの正体と系図(1) スサノオは建国の父 で書いたとおり、スサノオの神社伝承を辿ると出雲に由来があると考えます。
ニギハヤヒが関西地方、特に大和に勢力を伸ばしていることは前回述べました。

<参考文献>
『日本書紀(上・下)』宇治谷孟著 講談社学術文庫
『古事記(上・中・下)』次田真幸著 講談社学術文庫
日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教著 歴研
『古代日本正史』原田常治 同志社

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ニギハヤヒの正体と年表・系図(2)” に対して1件のコメントがあります。

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