自説では邪馬台国は九州にあるという考えですが、ここでは邪馬台国畿内説を考えてみましょう。
謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?
議論を巻き起こしているのが、少ない情報のために邪馬台国の場所が特定できないことです。
まず、帯方郡から伊都国までの記述はほぼ定説化しているところです。
議論を巻き起こしているのが、伊都国から邪馬台国へ至る経路です。
畿内説はもちろん、四国説、関東説、沖縄説、インドネシア説なんてのもあるそうです。
そして、存在しなかった説もあります。
さて、続きを見ていきましょう。
不弥国からの移動
不弥国から東へは船で移動しました。
航路としては、瀬戸内海ルートだけでなく、日本海ルートを利用した可能性もあります。
この場合、投馬国は出雲や但馬に比定されます。
不弥国から南へ行くと投馬国、さらに南に行くと邪馬台国という記述をそのまま追うと、九州南方の海に行ってしまいます。
正しくは「東」であるのを誤って「南」と記したと考えられ、「南して」を「東して」に読み替えるべきだというのが畿内説。
使者が日本に上陸後、不弥国から投馬国までが「水行二十日」、投馬国から邪馬台国までが「水行十日、陸行一月」とあります。
この日数から考えると、これらの場所を九州内に求めるのは難しく、大和までの移動日数を示していると考えられるといいます。
この畿内説に対する反論をみてみましょう。
- 謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?
- 不弥国からの移動
- 畿内説への反論1
- 東が海に面している国
- 邪馬台国はヤマト
- 卑弥呼=神功皇后説
- 三角縁神獣鏡
- 古墳
- まとめ
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
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【参考書籍】
・『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治 著
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著
・『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』梅原猛 新潮社
・『出雲と大和ー古代国家の原像をたずねて』村井康彦 岩波新書
・『古代史が解き明かす 日本人の正体』関裕二 じっぴコンパクト新書
・『古代史おさらい帖』森浩一 著 ちくま学芸文庫
・『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教 著
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著
・邪馬台国の会・畿内説の主張
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