卑弥呼
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卑弥呼は、『三国志』魏書東夷伝倭人条、通称『魏志倭人伝』(正確には「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)等の古代中国の史書に出てくる倭国の女王です。
魏志倭人伝には「卑弥呼は鬼道に仕え、よく大衆を惑わし、その姿を見せなかった。生涯夫をもたず、政治は弟の補佐によって行なわれた」と記されています。
邪馬台国の読み方は、「やまたいこく」、「やまとのくに」、「やまいこく」などがあります。
女王の卑弥呼が約30の国からなる倭国の都であった邪馬台国に居住していたとします。

邪馬台国の読み方は、「やまたいこく」、「やまとのくに」、「やまいこく」などがあります。
女王の卑弥呼が約30の国からなる倭国の都であった邪馬台国に居住していたとします。

議論を巻き起こしているのが、少ない情報のために邪馬台国の場所が特定できないことです。
解釈の仕方により、以下の諸説があります。

  • 畿内説
  • 九州説(福岡県・熊本県・鹿児島県・宮崎県など九州説にもいろいろあり)
  • 四国説
  • 中国(岡山・島根)説
  • 沖縄説
  • インドネシア説
  • 東遷説(邪馬台国が九州から大和へ移動)
  • 存在しなかった説

邪馬台国の「邪」、卑弥呼の「卑」、倭人の「倭」などは蔑称です。
中国では、鮮卑、匈奴、濊、濊貊など、大中華思想に則り、中国以外は劣ったものとして、蔑称をつけることがあります。
それが所在を一層分かりにくくしています。

卑弥呼の年表

『魏志倭人伝』には、卑弥呼は長寿だったということが記されています。
また、卑弥呼は『魏志倭人伝』によると正始8年(247年)前後に亡くなったことも記載されています。
したがって、80歳なら160年頃、90歳なら152年頃生まれたことになりますので、150年~160年頃に生まれていたと推定できます。

上記の年表は、私が作ってみた年表です。
神武天皇即位を241年として、卑弥呼をアマテラスに当てはめた前提での年表になります。
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もちろん、この様な年表は推定の域を出るものではありません。
特に、スサノオ、ニギハヤヒの年代はわかっておらず、スサノオの息子がニギハヤヒであり、スサノオの義理の息子がオオクニヌシであるという仮定です。
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卑弥呼の正体

そして卑弥呼の正体にもいろいろな仮説が存在します。

  • 卑弥呼=天照大神説
  • 卑弥呼=神功皇后説
  • 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命説
  • 卑弥呼=熊襲の女王説
  • 卑弥呼=倭姫説

『日本書紀』『古事記』の日向神話

170~180年頃、倭国大乱が起こり、卑弥呼が死亡するのが247年頃という前提で話を進めます。
それでは、当時のことを『日本書紀』『古事記』ではどのように記しているのでしょう。

『日本書紀』において、「筑紫の日向の小戸の橘の檍原(阿波岐原)」と書かれた箇所があります。
伊邪那岐尊(イザナギ)が黄泉国から降臨し禊祓いをしたところです。
檍原(阿波岐原)は、今の宮崎海岸に比定されています。

江田神社

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江田神社 Wikipedia

江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母にある式内社で県社です。
記紀に「筑紫の日向の小戸の橘の檍原(阿波岐原)」とあります。
紀元前2世紀の檍遺跡や紀元元年頃の石神遺跡があります。
『続古今和歌集』や『新後拾遺和歌集』に住吉神社が詠まれていたりすることから、古来より「伊邪那岐尊が黄泉国から降臨し禊祓いした」という伝承があったことを裏付けます。

■主祭神
伊邪那岐尊

■配祀神
伊耶那美尊

日向国風土記の中にある、「稲の穂を投げ散らかした」と、稲作農耕儀礼として述べられていることには重要な意味があります。
中国華南の農耕文化が取り入れられているのです。
そしてこの後、瓊々杵命は笠沙の御崎に御幸し、大山祇神の娘である木花咲耶姫命を娶り、子供を産みます。
いわゆる「海幸彦・山幸彦」伝承へと続きます。
「海幸彦・山幸彦」は海の民の伝承と考えられ、稲作民と海の民の融合物語となっています。

日向の地がこれらの伝承地であったことを示唆していると捉えることも出来ます。
天孫族である稲作の民が、現地の海の民と婚姻し子供を儲ける話です。
後の神武天皇ご誕生につながっていきます。

住吉神社

住吉神社 Wikipedia

住吉神社は、宮崎県宮崎市塩路にある、村社です。
『続古今和歌集』に詠まれている「顕出し住吉のかみ」
江田神社のご祭神は、伊邪那岐尊と父子関係にあります。
全国の住吉神社の元宮を称しています。

■主祭神
上筒男命・中筒男命・底筒男命

枚聞神社

枚聞神社
枚聞神社 Wikipedia

枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、天照大神(大日霊女貴尊)を祀る国弊小社です。

鹿児島県指宿市開聞十町にある薩摩国一宮で、加紫久利神社と共に薩摩国式内社の一社です。
琉球人も崇敬、琉球王の名で航海安全の神徳を奉謝し献納しています。

主祭神として、大日霎貴命(オオヒルメムチ)を祀ります。

都農神社

日向の都農神社は、宮崎県児湯郡都農町にある日向国一宮で、国弊小社、神武天皇即位の6年前創建と伝わる古社です。
都農神社のご祭神は大国主命(大巳貴命)です。
この付近には、円墳、前方後円墳20基を数える都農古墳群があります。

都萬神社

都萬神社は、宮崎県西都市大字妻にある日向国二宮、式内社で県社です。
都萬神社のご祭神は木花咲耶姫命です。
西都市にある西都原古墳群は非常に多くの古墳が存在します。

このように、宮崎県中央部の西都原付近は、記紀の天孫降臨伝承地であるとともに、邪馬台国の候補地としても可能性があると考えます。
さらに、生目古墳群、新田原古墳群、持田古墳群など古墳群が多く存在ます。

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