ウガヤフキアエズ
ウガヤフキアエズ Wikipedia

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ウガヤフキアエズは神武天皇の父親です。
彦火火出見尊(火折尊)の息子で、母は豊玉姫です。
叔母の玉依姫との間に彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・彦火火出見尊(後の神武天皇)を儲けました。

『日本書紀』では、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
『古事記』では、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
『先代旧事本紀』では、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)

彦火火出見尊(火折尊、山幸彦)の子。母は豊玉姫。『先代旧事本紀』によれば異母弟に武位起命がいる。叔母の玉依姫との間に彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・彦火火出見尊(神武天皇)を得た。

陵墓は、吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山)を宮内庁が治定しています。

ウガヤフキアエズ王朝は存在したのか?

『ウエツフミ(上記)』、『竹内文献』等により、ウガヤフキアエズ王朝が存在したとの言説がありますが、歴史学界では否定されています。
これらの文書は史料価値が認められていない偽書扱いであり、王朝らしきものが有ったかもしれませんが、記紀が存在を明記しておらず、遺跡、史料、神社伝承が残っていないことから、これを認めることは不可能です。
王朝とは何を示すのか分かりませんが、ウガヤフキアエズが地域の有力豪族であったた可能性はあるのですが、王朝と言われるまで大きな力を持っていたかどうかは懐疑的です。

ウガヤフキアエズの神社

ウガヤフキアエズを祀る神社は大きく2社あります。
宮崎県の鵜戸神宮と鹿児島県の鵜戸神社です。
どちらの神社もウガヤフキアエズを祀っています。
どうも、鹿児島県の鵜戸神社が、史実のウガヤフキアエズの陵墓であり、宮崎県の鵜戸神宮は神話の世界に基づく神社ということのようです。
宮崎県の鵜戸神宮は、前方後円墳を吾平山陵墓としたり、海辺の奇岩絶壁の地を根拠地にしたりお墓にするなど、現実的ではありません。
皇室がどちらに御参拝するかでわかります。

鵜戸神社(鹿児島県鹿屋市)・吾平山上陵

吾平山上陵 鵜戸神社 Wikipedia
吾平山上陵 鵜戸神社 Wikipedia

鵜戸神社は、鹿児島県鹿屋市吾平町麓にある郷社です。
かつては鵜戸六所権現、鵜殿神社と称したとされます。
元は吾平山上陵内、奉拝所の東の小高い地に鎮座していました。

■ご祭神

彦波瀲武鵜茅草葺不合尊
玉依姫命
彦五瀬命
稲飯命
三毛入野命
神日本磐余彦尊

吾平山上陵は、宮内庁により天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)と玉依姫の御陵に治定されています。
1935年(昭和10年)、昭和天皇が、1962年(昭和37年)、上皇陛下がご参拝しています。

鵜戸神宮(宮崎県)

鵜戸神宮 Wikipedia

鵜戸神宮は、宮崎県日南市大字宮浦3232
官幣大社で別表神社。
境内の速日峯山上に前方後円墳・吾平山上陵があり、明治29年に鵜戸陵墓参考地とされ、現在は宮内庁が所管しています。
782年(延暦元年)、光喜坊快久という天台僧が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり、神殿を再建。
別当寺院を建立し、天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」の勅号を賜わったとも伝わります。

■ご祭神

日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
大日孁貴(おおひるめのむち)
天忍穂耳尊
彦火瓊々杵尊
彦火々出見尊
神日本磐余彦尊

ウガヤフキアエズは熊野楠日と同一人物

ウガヤフキアエズが熊野楠日(クマノクスヒ)と同一人物である証拠は、下記の神社のご祭神を見ると判明します。
天照大神(大日霎貴命)が儲けた五男三女神にクマノクスヒが居られます。

・枚聞神社(ひらききじんじゃ)
ご祭神
大日霎貴命(オオヒミコムチ)
天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)
天之穂日命(アメノホヒ)
天津彦根命(アマツヒコネ)
活津彦根命(イクツヒコネ)
熊野樟日命(クマヌノクスヒ)
多紀理毘賣命(タギリビメ)
狭依毘賣命(サヨリビメ)
多岐都比賣命(タギツヒメ)

・揖宿神社(いぶすきじんじゃ)
ご祭神
大日孁貴命(オオヒミコムチ)
天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)
天之穂日命(アメノホヒ)
天津日子命(アマツヒコネ)
活津日子根命(イクツヒコネ)
熊野久須毘命(クマノクスヒ)
多紀理毘売命(タギリビメ)
狭依日売命(サヨリビメ)
多岐津比売命(タギツヒメ)

熊野楠日尊、熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)、別名を天津日高日子波限建鵜葺草葺不合尊(ナギサタケウガヤフキアエズ)といいます。
『古事記』では、熊野久須毘命。
『日本書紀』では、熊野櫲樟日命、第一の一書では熊野忍蹈命(クマノオシホミ)、第二の一書では熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)、第三の一書では熊野忍蹈命(クマノオシホミ)またの名を熊野忍隅命(クマノオシスミ)と記しています。
『日本書紀』では天照大神と素盞鳴尊の末子である五男として誓約で生まれます。
末子の神倭伊波礼毘古尊が神武天皇となります。

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